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新橋駅を東側に出て、汐留正面に歩いていき、時計台を越えて、銀座方面に向かっていくと見えてくる一風変わったビルがあるわ。

ドラム型洗濯機を積み上げたような建物。

「中銀カプセルタワー」と言うわ。

こちらは実は黒川紀章が大阪万博で描いた夢を実現したものなのよ。

大阪万博というと、岡本太郎の太陽の塔が有名な、1970年に開かれた「人類の進歩と調和」をテーマとした国際博覧会よ。

その大阪万博において、黒川紀章も彼の未来の都市の理想像をモチーフにした建物を出展したのよ。

一番話題を浴びたのがこの「東芝IHI館」、

この蝙蝠のように開いた枠に、UFOのような会場を吊るしたデザインが、大きなインパクトを作ったようよ。

周りに枠を作って、球体上の会場を吊るしているの。

この枠は「テトラユニット」という鉄のこんな形をしたプレートから構成されていて、このユニットの構成を変えることで、また新たな形態に生まれ変わり、再生や変化をすることが特徴なの。

このように、今までの完璧なものを作り出す建築思想から、エコロジーやリサイクルのさきがけとも言える再生や変化を促す建築思想を「メタボリズム」と名付け、この建物に託したの。

ただ「メタボリズム」という考えが分かりやすいのはこの「タカラビューティリオン」よ。

ジャングルジムのような鉄枠に、四角いボックス上の部屋をいくつもいれて構成される建物なの。

横から見ると、この建物が格子状の枠で形作られていることが良くわかるわ。

下から見上げると、格子の中にいくつものボックスが埋め込まれていることが分かるわよね。

このように、枠を広げる事で建物の規模が自由自在に変えることができて、中のボックスの数やボックスの中身をかえることで建物の内容が自由自在に変えることができることを表現しているの。

大量生産の時代の性質を利用して、カスタマイズによって多様性を作り出す...これが「メタボリズム」の真骨頂で、特にこの格子とボックスを使った建築を「カプセル建築」と呼んでいるわ。

そして、その「カプセル建築」を実用的な建物として初めて実現したのが、最初に紹介したこの「中銀カプセルタワー」よ。

一見するとドラム型の洗濯機を沢山重ねたような建物よね。

この「ドラム型の洗濯機」のようなものは「カプセル」と呼んで、前のボックスにあたり、中にバスルームやベットなどが入った部屋となっていて、技術的にボルト2つで取り外せる仕組みになっているのよ。

上から見ればわかりやすいと思うけど、2つの塔がそれぞれ格子を内蔵していて、その格子にこの「カプセル」を取り付ける仕組みなっているのよ。

マンションにおいて、階段やエレベーターなど移動スペースはあまり変化しないけども、居住スペースは住む人や時代によって変化するわよね。

そんな変化にわせてカプセルの内容を変えたり、交換することで、色々な変化に対応していける、そんな「メタボリズム」の思想をダイレクトに表現した建物なのよ。

もっとも、設計者の黒川紀章自身は、この「カプセル」を外して、外に運び、連休のときは居住スペースごと移動できるなんてことも想定していたみたいだから、大胆よね。

でも、この建物発想もユニークだけど、建築工程が非常に合理的で、短い時間で完成するところも特徴なのよ。

ちょっと最後に余談になってしまうけれど、この「中銀カプセルタワー」と同じ時期にできた「佐倉市役所」の建築を見るとその工事の合理性が良くわかるわ。

この建物は両サイドに塔のようなものが建ち、真ん中に広い部屋があるようなデザインになっているわ。

これは両サイドの塔を先に「スライディングフォーム工法」という繋ぎ目のないコンクリートの壁を素早く作り出す工法を使っているわ。

その後に地上で組み上げた5枚の床板をリフトアップ工法によって持ち上げて、この2つの塔の間に5枚分の床板を取り付けるの。

そうすると塔の中の床を支える柱を作る必要がなく、非常に早く工事が進むの。

因みに、主要建物の隣にある建物も黒川紀章の設計で、「HPシェル工法」という双曲放物面の屋根を作ることで、柱の数を減らす工法を実現しているわ。

これらの柱を減らす工法は、工費の削減・工事の短縮や広い空間作りなど、多くのメリットがあり、話題になったようよ。

人口が増加して、都市に集中していく時代に、変化に対応して再生していく都市の理想を掲げた黒川紀章だったけども、「中銀カプセルタワー」は実際にはカプセルの交換は行われてないみたいね。

でも『都市デザイン』という著書で、黒川紀章は「未来の都市を掲げたものは、その通りに実現したことは一度もない。しかし、人間の未来に対して変化を促すイメージを投げかける役割を果たしてきた」というようなことを述べているわ。

今でもこの建物を見ると、そんな未来を夢見たイメージが伝わってくるようわよね。

将来的に人口が減っていき、新たな変化をしていく現在にとっても、「メタボリズム」は大切になってくる考え方ではないかしら。

以下、詳細を論じます。

黒川紀章

1934~2007 愛知県出身

1953年、京都大学では西山卯三に師事

1957年、東京大学大学院では丹下健三のもとに師事し、その門下生に磯崎新や槇文彦などがいました。

1958.61.63年3度世界の建築を視察しています。

 アスベン学生デザイン会議に磯崎の代理として黒川が出席しています。

1960年 

メタボリズムグループ発足

 :東京で世界中のデザイナーを集めて開かれた世界デザイン会議の準備をきっかけとして結成されたもの

論文『メタボリズムの方法論』

・Cybernetics(人工頭脳学)が普及しだしてきた頃で、そこでエントロピーを統計的に扱う事で情報理論とエントロピー理論を結びつける試み(プリゴシン「非可逆現象の熱力学」が代表例)などの影響を受け、エントロピーと未来の都市を結びつけて、建築の意義を考えました。

 プリゴシンの「散逸構造論」を後に非ブルバギの体系として、問題提起的な秩序や体系という二元論を超えたものの例として述べていて、黒川の哲学の方向性としている。

・池田勇人の所得倍増計画など経済発展の方向性にあり、アイゼンハワーやケネディの経済政策にも関わったW.ロストウの「経済の発展段階説」などにより明治以降西洋の理想的なイコンの追求に社会は向かいつつある中、東洋の建築の融合や非完全性の追求を表明しました。

●建築の創造の意味

「多様化と活性化の最終段階にくる死の状態、破滅的な状態を少しずつでも遅らせていく、作業が、都市計画であり、建築の創造なのである。」(※『黒川紀章 都市デザインの思想と手法』より引用)

●未来都市を描く作業の意味

「(ルネサンスの理想都市論などを挙げて)この未来派の人たちは現実に建築や都市をつくったことは一度もない。だが、彼らは破滅へ向かう人間の未来に対して、マイナスのエントロピーとしてのイメージを投げかけるという役割を果たしてきた。」(※同上)

●メタボリズムの技術的影響

 メタボリズムの循環の原理(メタボリズムにおけるリズム)の技術的な影響としてRichards Medical Research Laboratories(1960年にデザイン案完成)のLouis Kahnを挙げています。Served spaces(黒川は「マスタースペース」と呼んでいます)とServant spacesに分けた考え方。

1967年、『行動建築論』―メタボリズムの美学建築の本としては記録的なベストセラー。

1969年、Urban Design Consultant Inc

 社会工学研究所 設立

カプセル宣言

 「カプセル建築は一体となっている建築をまずディスコンストラクション(解体)することから始まる。」

 「メタボリズムの建築空間は、その地域の特性の多様性を表現できる工業化が、カプセル建築のひとつの問題提起だったのである。」

『ホモ・モーベンス』(中公新書)

 「ボーダーレス時代の予感であった。…21世紀へ向けて日本型の移動社会が出現する可能性がある。…その予感をもとに書いた」(※『黒川紀章ノート』より)

 「このホモ・モーベンスの社会という想定が、じつはカプセル建築の思想的背景になっているのである。カプセルというひとつひとつの細胞の意味を、日本で確立しなければならない個人主義という社会的な要請と結びつける。そのことにより、新しい時代の建築のイメージとしてカプセル建築がクローズアップされるのではないか、と考えたわけである。」(※同上)

大阪万博

「東芝IHI館(二元論を超えた人間と技術の共生)」「タカラ・パピリオン」「お祭り広場空中テーマ館」のカプセル建築において、世界初のカプセル建築の実現を図りました。「個の集合」と「仮設性(日本文化の美意識)」

【東芝IHI館】

IHIとは、「石川島播磨重工業はIshikawajima-Harima Heavy Industries」の略で、将校客席や最大の特徴であるテトラを作成。東芝との共同でした。

・「これはテトラユニットと呼ばれる鉄のプレートで溶接されたテトラ形状のユニットで構成されるスペース・フレームである。5種類のテトラユニットはコンピューターによってその応力に応じて選択され、3次元のスペース・フレームで構成している。しかし結果は明らかに人々に合理主義、科学、技術というイメージよりも、人間のより奥深いところにある感情を訴えるものになったようだ。…ハイテクノロジーと芸術の共生こそ21世紀のイメージだ(※同上)」

「三角錘形の鉄のテトラをつなぎ合わせたスペース・フレーム(立体格子)と、それがささえている赤い球体=グローバルビジョン。それに、昇降回転客席とで構成されています」テトラさえふやせば、どんな大建築でも自由自在。
大量生産も思いのまま。未来建築が進む方向をはっきり示すとともに、限りない人間のエネルギーを象徴しています。」(※EXPO‘70 東芝IHI館パンフより)

天井には360度兄弟スクリーンがあり、回転昇降客席は下から見ると空飛ぶ円盤のよう、柱を使わない工法。

⇒メタボリズムグループ最後の計画、その後は分岐していきました。

⇒カプセルホテルは、1979年世界初のカプセルホテルはニュージャパン観光株式会社の方が大阪万博で見かけた黒川のカプセル住宅を思い出し、労働争議などで電車が止まってしまったとき終電が無くったときホテルが溢れかえってしまった現状の解決策として黒川に相談したことからできました。

【タカラ・ビューティリオン】

「地下 1 階、地上 4 階建てで、鋼管とステンレスカプセルの結合により構成された独創的な建築で、観客は各カプセルの展示室を巡るようになっていた。
 建築の主構造には、鋼管と角に丸みをつけた正六面体のステンレスカプセルの結合によって構成されたユニットが用いられ、屋根、床、窓の部分もそれぞれパネル化されていた。
 この建築は工場ですべて製作され、現場では 7 日間というスピードで組み立てられた。一組の鋼管ユニットをクレーンで吊り上げ、スペースに合わせてボルトで締めるという簡単な作業で組み立て、必要に応じてレイアウトの自由、増減の自由、さらに質の選択の自由など無限の可能性を持つものであった。そうした意味で、これは未来都市、未来建築の新しい考え方を示したもので、建築の“新陳代謝”を実現したものであった」(※大阪万博記念公園HPより)

佐倉市役所 1971年竣工

鉄筋コンクリート造

工費の削減、工期の短縮など新しい技術を使って多くの削減と共生を図る建築として注目。

●新しい工法

スイライディングフォーム工法:大型移動枠を使って継ぎ目のないコンクリートを形成する工法

リフトアップ工法:地上で組み立てたものをジャッキで所定の位置まで運ぶ工法

 地上でコンクリートを作られるため、工期が短く、作業の安全性が高いです。

 型枠設備や仮設がほとんど不要。

●匠な組み合わせ

ボイドスラブ:発泡スチロールを使った梁を減らす工法

ワッフルスラブ:コンクリートの梁をワッフル上に凸凹に組み耐力壁を無くす工法

 軽量化と柱を途中に必要としないため広々とした天井が作られます。

HPシェル:双曲放物面を使って柱の数を減らす工法

 菱形方向の2画を地面につけて、屋根を自立させます。

 会議場など柱がなく広々とした空間を作るのに適していて、建物の動的な美しさを生み出します。

●工事の順序

在来工法で施工された基礎の上に、第一期スライディング工事、第二期スライディング工事を作るのに並行して中空スラブが作成されます。次にGコラムが建てられ、地上で作られた5枚のスラブをリフトアップして取り付けます。

※佐倉市HP「佐倉市庁舎建築記録」という映像を参照

中銀カプセルタワービル

1972年竣工

・世界で初めて実用化されたカプセル型のマンション

・外観・ユニット製のマンションであることの機能をダイレクトに表現したデザイン性は高く評価

・高度経済成長期、日本は急激な人口増加、特に都市への人口集中への対応を余儀なくされていた。

●コンセプト

(立方体を仕切るという)「建築を解体して、個室によって構成され、なるほどいろいろな人がそこに住んでいるんだなということがわかるような建築がつくれないかというコンセプトによって計画」

「ヤドカリのように、移動が可能であるというのが「中銀カプセルタワービル」のコンセプトであり、ホモ・モーベンス時代のカプセル建築への宣言でもあった。」

「アンガージュマン(参加)の建築でもある。」(※『黒川紀章ノート』より)

●使用

「誰でも買えるようなコストいおさえるために、量産ができる同じ大きさにはなっている。この工業化の原理を使いながら、いろいろな大きさのユニットを組み合わせて、自分らしい住空間を表現できるはずだ。」

「3つ、4つのカプセルを組み合わせて、3.4人の家族が住むという、細胞を組みわせた家として機能するという形での使われ方も、現実にはされていない。」(※同上)

●工法

「ユニットを一つのコンテナとして工場でつくり、中のベッドや家具、テレビ、電話までさえも工場でセットし、それをトラックに4ユニットずつ乗せて夜中に運搬し、あっという間に一週間で全部取り付けることができた。ボルトで絞めて取り付けるだけである。」(※同上)

●時代背景

「ある意味では、1960年代後半から70年代にかけては、工業化の最後の花が咲いた時代であると思う。多様化を求める工業化の第一歩であった。…工業化を利用しながら多様化社会へ向かっていける建築の一つ」(※同上)

「組み合わせによる多様化の技術に積極果敢に取り組んでいくことも、メタボリズムの初期の段階での大きな流れだった」(※同上) s

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